端唄俗曲選集(5)

「梅と松」

梅と松とや 
若竹の 手に手ひかれて
七五三飾りならば 嘘じゃまいぞえ
ほんだわら 海老の腰とや
千代までも 伴白髪
よいよい世の中 よい所へゆずり葉の
てもまぁ明けましては 目出度い
春じゃえ

お正月のめでたい唄です 
歌詞の冒頭は、門松に竹と梅と注連飾りをつけた様を、ほんだわら~以下は新年を祝う飾りもの蓬莱台に乗せるめでたい物づくしで綴っている

 

「海晏寺」

一、あれ見やしゃんせ 海晏寺
  真間よ 竜田の 高雄でも
  およびないぞえ 紅葉狩り

二、あれ聴かしゃんせ あの端唄
  聞くにつけても 思い出す
  おまえと初めて 逢うた時

海晏寺:品川区南品川町にある曹洞宗の寺で、境内には紅葉狩りの名所として名高い紅葉が有りました
海晏寺の紅葉は真間(千葉県の弘法寺)はもとより、竜田(奈良県の竜田川)、高雄(京都府の高雄山)のものよりも勝っているという内容です

 

「きりぎりす」山田抄太郎:編曲

一、きりぎりす
  そなたの足は 細くて長くて
  なぜにちっくり 曲がってる
  それでなければ
  ちょいとねて 止まられぬ

二、おかめさん
  お前の顔は 丸くてふくれて
  なんでいつでも 笑ってる
  それでなければ
  ちょいと熊手に してくれぬ

三、どら猫や
  お前の髭は 長くて光って
  なんでそんなに ピンとしてる
  それでなければ
  ちょいとチューチュが 怖がらぬ

 

「五月雨(池)」
 川田小一郎:作詞・清元お葉:作曲

五月雨に
池の真菰に 水増して
いずれがあやめ 杜若
さだかにそれと 吉原へ
ほど遠からぬ 水神の
離れ座敷の 夕映えに
ちょっと見交わす 富士筑波

川田氏は、当時吉原の二人の芸妓を寵愛していたが、六月のある日その一人を連れて向島の水神の料亭「八百松」の離れ座敷で遊んでいると、はからずも廊下でもう一人の芸妓に出会ってしまいました。二人の芸妓はお互いにそれを知る由もなかったのでよかったものの、とんだ女の鞘当てと川田氏はすぐにこれを詞にしたそうです。「五月雨に真菰・・・」は源頼政の古歌「いずれがあやめ、杜若」は二人の芸妓「定かにそれと吉原へ」で吉原の芸妓を匂わせ「ちょっと見交わす富士筑波」で鉢合わせを表している

 

「品川甚句」

小窓開くれば 品川沖を
鴨八百羽 小鴨が八百羽
入り船八百艘 荷船が八百艘
帆柱八百本 あるよあるよ
朝来て昼来て 晩に来て
来てこんとは 偽りな
来た証拠にゃ 
目がちょっとだれちょる
酒飲んだ 誰よと 誰よが違ちょる
ハッハー違ちょる 違ちょる
きりかっぽ 土手しょって
こいちょろちょろね

船は出て行く 煙は残る
残る煙が アーイタタッタッタ
癪の種

江戸時代、品川は東海道五十三次の最初の宿場で往来の人も多く繁華を極めていました青楼(せいろう)や料亭が軒を連ね、後ろに八つ山(やつやま)前に品川の海を臨む街並みその名残は明治に続き、遊里の小窓を開けると海には出船入り船の数も多く鴨を始めとする水鳥達の遊ぶ姿も見られました
歌詞の「船は出て行く 煙は残る・・・」の船は明治の汽船

 

「角力甚句」

一、やぐら太鼓に ふと目を覚まし
  明日はどの手で 投げてやろ
 ※トコドスコイ ドスコイドスコイ

二、やぐら太鼓に ふと目を覚まし
  今日は初日で 負けられぬ ※

三、西に富士ヶ峰 東に筑波
  中を流るる 隅田川 ※

四、お角力さんには
  どこがようて惚れた
  稽古戻りの 乱れ髪 ※

五、角力にゃ負けても
  けがさえ無けりゃ
  晩にゃわたしが 負けてやろ ※

力士が招かれた宴席等で唄ったのが始めと言われています
元唄は「拙者この町に用事はないが
 貴殿見たさにまかりこす」という
もので、江戸時代からあったと思われます
この甚句は替唄も多く、歌舞伎の下座音楽にも使われています

 

「綱は上意」

入りにけり 綱は上意を 蒙むりて
羅生門にぞ 着きにけり
折しも雨風 はげしき後ろより
兜の錣を 引っつかみ 
引き戻さんと エイと引く
綱も聞こえし 強者にて
かの曲者に 諸手をかけ
よしゃれ放しゃれ 錣が切れる
錣切れるは いといはせぬが
たった今 結うた鬢の毛が
損じるは もつれるは
七つ過ぎには 行かねばならぬ
そこへ行かんすが こちゃ気にかかる
誰じゃ誰じゃ
鬼じゃないもの わしじゃもの
兜も錣も なっちもいらねぇ
さぁさ持ってけ しょってけ

:源頼光の四天王の一人 渡辺の綱
上意:君の思し召し・命令・将軍の命令
蒙る:目上や強力なものの動作を身に受ける いただく
羅生門:京都南区唐橋羅城門町
昔、京都の外廓の正南九条に設けた門で、羅城門と書くのが正しく平安京最大の門であった
(しころ):兜の後ろに垂れている頸覆(えりおおい)の金具
諸手:両手
厭う(いとう):いやに思う・きらう いとわない→いやではない・こまらない
(びん):頭の左右側面の髪
損じる:いたむ・そこなう・壊れる
七つ:午前四時又は午後四時 遊里では七つ明き、七つ下りといってこの時刻に客が帰ったり、遊女が去ったりするのが慣例であった
ここでは綱が七つ過ぎに帰るというと、遊女が妬いて帰してくれないというところ
なっちも:「何にも」の江戸弁
持ってけしょってけ:当時の流行言葉
※この曲には二つの物語が綴られており、それぞれの曲調の違いが絶妙です

 

「夏の暑さ」

夏の暑さに
すだれかがげて 縁のはし
そして 派手な浴衣に 薄化粧
ほんのりと 桜色
引き寄せて ンあれさ

 

「浪花くずし」

一、秋が来た来た 秋が来た
  さぞや都は さみしかろ
  おらが在所へ 来てみやれ
  米のなる木が おじぎする

二、どうせ浮き世は 夢の夢
  それさえわずか 五十年
  つまらぬ恋を するよりも
  悟り開いて 世を送る

三、僕の未来は 法学士
  君の未来は 文学士
  二人は共に 博士号
  親はお国で 待ちこがる
  (作詞・初代藤本琇丈)

 

「花のくもり」

花のくもりか 遠山の
雲か花かは 白雪に
中をそよそよ 吹く春風に
浮き寝誘うや さざ波の
ここはカモメも 都鳥
扇拍子も ざんざめく
内やゆかしき 内ぞゆきしき

花のくもり:花が咲きそろって雲のように見える光景
浮き寝誘う:都鳥(かもめ)が隅田川で浮いたまま寝ること
扇拍子:扇で拍子をとって唄う様
ざんざめく:にぎやかに、声をたててさわぐ
ゆかしき:何となく知りたい、見たい、聞きたい
何となく懐かしい、何となく慕わしい、心がひかれる

 

「まっくろけ節」

一、箱根山 昔ゃ背で越す 馬で越す
  今じゃ夢の間 汽車で越す
  煙でトンネルは まっくろけのけ
  オヤ まっくろけのけ

二、桜島 薩摩の国の 桜島
  煙吐いて 火を噴いて 
  おこりだし
  十里四方は まっくろけのけ
  オヤ まっくろけのけ

三、按摩さん 杖を頼りに 流し笛
  犬につまづいて 吠えられて
  むきだす目玉が まっくろけのけ
  オヤ まっくろけのけ

四、山崎の 街道とぼとぼ 与市兵衛
  後から出てくる 定九郎
  提灯ばっさり まっくろけのけ
  オヤ まっくろけのけ

 

「松づくし」

唄い囃せや 大黒
一本目には 池の松
二本目には 庭の松
三本目には 下り松
四本目には 志賀の松
五本目には 五葉の松
六つ昔は 高砂の
尾上の松や 曽我の松
七本目には 姫小松
八本目には 浜の松
九つ小松を 植え並べ
十で豊久能 伊勢の松
この松は 芙蓉の松にて
情け有馬の 松が枝に
口説けばなびく 相生の松
又いついつの約束に
日をまつ 時まつ 暮れをまつ
連理の松に 契りを込めて
福大黒を 見さいな

連理:夫婦・男女の仲がきわめて親密なことの例え

 

「めぐる日」

めぐる日の
春に近いとて 老木の梅も
若やぎて候 しおらしや しおらしや
薫りゆかしと 待ちわびかねて
ささ鳴きかける 鶯の
来ては朝寝を 起こしけり
さりとは 気短な
今帯締めて 行くわいな
ホーホケキョーとい 人さんじゃ

若やぐ:若々しく見える・若返るしおらしい:控えめでつつしみがあって可愛いらしい
笹鳴き:やぶ中をチャッ,チャッという声を出しながら移動していく,このウグイスをヤブウグイスと呼ぶこともある
さりとは:本当に・まぁ

 

「八重一重」

八重一重
山もおぼろに 薄化粧
娘盛りは よい桜花
嵐に散らで 主さんに
逢うてなまなか あと悔やむ
恥ずかしいでは ないかいな

八重一重:濃く淡く山桜の咲く風景
嵐に散らで主さんに:桜が一夜の嵐に散るように、好きな男に逢って散る事をかけている
逢うてなまなか:あの時なまじ主さんに逢わなければ、こんな苦労をしなくて済んだものをという気持ちを唄っています

 

「槍さびくずし」

一、槍はさびるし その名もさびる
  さびたその名の 軽石由良さんが
  どんと打ち込む ズイトコリャ
  山鹿流

二、月もおぼろに 流れる鴨の水
  二人手を取り お染と半九郎
  悲しい旅路も ズイトコリャ
  鳥辺山

山鹿(やまが)流:兵学の一派
「山鹿素行」江戸前期の儒者 兵学者、古学の開祖 
鳥辺山:歌舞伎「鳥辺山心中」の内容を歌詞にしたもの

 

「雪は巴」

雪は巴に 降りしきる
屏風が恋の 仲立ちで
蝶と千鳥の 三つぶとん
元木に帰る ねぐら鳥
まだ口青いじゃ ないかいな

雪は巴:吉原の早春、雪が卍巴(まんじどもえ)と降りしきる様子
:卍巴=お互いに相追うように入り乱れる様
屏風が恋の仲立ちで:枕屏風を引き回して遊女と馴染み客がしみじみと語り合う様
三つぶとん:遊女が客にせがんで買わせた三枚重ねの敷き布団
元木に帰るねぐら鳥:遊女がふと窓を開けると生まれて間もない口ばしの青い鳥が、雪の中をねぐらと定めた木を求めて飛んで行くという光景

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「梅と松」

梅と松とや 若竹の 
手に手ひかれて 七五三飾り(しめかざり)ならば
嘘じゃまいぞえ ほんだわら
海老の腰とや 千代までも伴白髪
よいよい世の中 よい所へゆずり葉の
てもまぁ明けましては 目出度い春じゃえ

お正月のめでたい唄です 
歌詞の冒頭は、門松に竹と梅と注連飾りをつけた様を、ほんだわら~以下は新年を祝う飾りもの蓬莱台に乗せるめでたいものづくしで綴っている

 

「海晏寺」

一、あれ見やしゃんせ 海晏寺 真間よ竜田の 高雄でも
  およびないぞえ 紅葉狩り

二、あれ聴かしゃんせ あの端唄 聞くにつけても 思い出す
  おまえと初めて 逢うた時

海晏寺:品川区南品川町にある曹洞宗の寺で、境内には紅葉狩りの名所として名高い紅葉が有りました
海晏寺の紅葉は真間(千葉県の弘法寺)はもとより、竜田(奈良県の竜田川)、高雄(京都府の高雄山)のものよりも勝っているという内容です

 

「きりぎりす」山田抄太郎:編曲

一、きりぎりす そなたの足は 細くて長くて なぜにちっくり 曲がってる
  それでなければ ちょいと跳ねて 止まられぬ

二、おかめさん お前の顔は 丸くてふくれて なんでいつでも 笑ってる
  それでなければ ちょいと熊手に してくれぬ

三、どら猫や お前の髭は 長くて光って なんでそんなに ピンとしてる 
  それでなければ ちょいとチューチュが こわがらぬ

 

「五月雨(池)」川田小一郎:作詞・清元お葉:作曲

五月雨に 池の真菰に 水増して
いずれがあやめ 杜若 さだかにそれと 吉原へ
ほど遠からぬ 水神の 離れ座敷の 夕映えに
ちょっと見交わす 富士筑波

川田氏は、当時吉原の二人の芸妓を寵愛していたが、六月のある日その一人を連れて向島の水神の料亭「八百松」の離れ座敷で遊んでいると、
はからずも廊下でもう一人の芸妓に出会ってしまいました。二人の芸妓はお互いにそれを知る由もなかったのでよかったものの、
とんだ女の鞘当てと川田氏はすぐにこれを詞にしたそうです。
「五月雨に真菰・・・」は源頼政の古歌
「いずれがあやめ、杜若」は二人の芸妓
「定かにそれと吉原へ」で吉原の芸妓を匂わせ
「ちょっと見交わす富士筑波」で鉢合わせを表している

 

「品川甚句」

小窓開くれば 品川沖を 鴨八百羽 小鴨が八百羽
入り船八百艘 荷船が八百艘 帆柱八百本 あるよあるよ
朝来て昼来て 晩に来て 来てこんとは 偽りな
来た証拠にゃ 目がちょっとだれちょる 酒飲んだ 誰よと誰よが違ちょる
ハッハー違ちょる 違ちょる きりかっぽ 土手しょって こいちょろちょろね

船は出て行く 煙は残る
残る煙が アーイタタッタッタ 癪の種

江戸時代、品川は東海道五十三次の最初の宿場で往来の人も多く繁華を極めていました
青楼(せいろう)や料亭が軒を連ね、後ろに八つ山(やつやま)前に品川の海を臨む街並み
その名残は明治に続き、遊里の小窓を開けると海には出船入り船の数も多く鴨を始めとする水鳥達の遊ぶ姿も見られました
歌詞の「船は出て行く 煙は残る・・・」の船は明治の汽船

 

「角力甚句」

一、やぐら太鼓に ふと目を覚まし 明日はどの手で 投げてやろ
  ※トコドスコイ ドスコイドスコイ

二、やぐら太鼓に ふと目を覚まし 今日は初日で 負けられぬ ※

三、西に富士ヶ峰 東に筑波 中を流るる 隅田川 ※

四、お角力さんには どこがようて惚れた 稽古戻りの 乱れ髪 ※

五、角力にゃ負けても けがさえ無けりゃ 晩にゃわたしが 負けてやろ ※

力士が招かれた宴席等で唄ったのが始めと言われています
元唄は「拙者この町に用事はないが、貴殿見たさにまかりこす」というもので、江戸時代からあったと思われます
この甚句は替唄も多く、歌舞伎の下座音楽にも使われて居ります

 

「綱は上意」

入りにけり
綱は上意を蒙むりて 羅生門にぞ着きにけり
折しも雨風はげしき後ろより 兜の錣を引っつかみ 引き戻さんとエイと引く
綱も聞こえし強者にて かの曲者に諸手をかけ

よしゃれ放しゃれ 錣が切れる 錣切れるは いといはせぬが
たった今結うた鬢の毛が 損じるはもつれるは
七つ過ぎには行かねばならぬ そこへ行かんすが こちゃ気にかかる
誰じゃ誰じゃ 鬼じゃないもの わしじゃもの
兜も錣も なっちもいらねぇ さぁさ持ってけ しょってけ 

綱:源頼光の四天王の一人 渡辺の綱
上意:君の思し召し・命令 将軍の命令
蒙る:目上や強力なものの動作を身に受ける いただく
羅生門:京都南区唐橋羅城門町 昔、京都の外廓の正南九条に設けた門で、羅城門と書くのが正しく平安京最大の門であった
錣(しころ):兜の後ろに垂れている頸覆(えりおおい)の金具
諸手:両手
厭う(いとう):いやに思う・きらう  いとわない→いやではない・こまらない
鬢(びん):頭の左右側面の髪
損じる:いたむ・そこなう・壊れる
七つ:午前四時又は午後四時 遊里では七つ明き、七つ下りといってこの時刻に客が帰ったり遊女が去ったりするのが慣例であった
   ここでは綱が七つ過ぎに帰るというと、遊女が妬いて帰してくれないというところ
なっちも:「何にも」の江戸弁
持ってけしょってけ:当時の流行言葉

※この曲には二つの物語が綴られており、それぞれの曲調の違いが絶妙です

 

「夏の暑さ」

夏の暑さに すだれかがげて 縁のはし
そして 派手な浴衣に 薄化粧
ほんのりと 桜色 引き寄せて ンあれさ

 

「浪花くずし」

一、秋が来た来た 秋が来た さぞや都は さみしかろ
  おらが在所へ 来てみやれ 米のなる木が おじぎする

二、どうせ浮き世は 夢の夢 それさえわずか 五十年
  つまらぬ恋を するよりも 悟り開いて 世を送る

三、僕の未来は 法学士 君の未来は 文学士
  二人は共に 博士号 親はお国で 待ちこがる(作詞・初代藤本琇丈)

 

「花のくもり」

花のくもりか 遠山の
雲か花かは 白雪に 中をそよそよ 吹く春風に
浮き寝誘うや さざ波の ここはカモメも 都鳥
扇拍子も ざんざめく 内やゆかしき 内ぞゆきしき

花のくもり:花が咲きそろって雲のように見える光景
浮き寝誘う:都鳥(かもめ)が隅田川で浮いたまま寝ること
扇拍子:扇で拍子をとって唄う様
ざんざめく:にぎやかに、声をたててさわぐ
ゆかしき:何となく知りたい、見たい、聞きたい
     何となく懐かしい、何となく慕わしい、心がひかれる

 

「まっくろけ節」

一、箱根山 昔ゃ背で越す馬で越す 今じゃ夢の間 汽車で越す
  煙でトンネルは まっくろけのけ オヤ まっくろけのけ

二、桜島 薩摩の国の桜島 煙吐いて 火を噴いて おこりだし
  十里四方は まっくろけのけ オヤ まっくろけのけ

三、按摩さん 杖を頼りに流し笛 犬につまづいて 吠えられて
  むきだす目玉が まっくろけのけ オヤ まっくろけのけ

四、山崎の 街道とぼとぼ与市兵衛 後から出てくる 定九郎
  提灯ばっさり まっくろけのけ オヤ まっくろけのけ

 

「松づくし」

唄い囃せや 大黒
一本目には池の松 二本目には庭の松 三本目には下り松 四本目には志賀の松
五本目には五葉の松 六つ昔は高砂の 尾上の松や曽根の松
七本目には姫小松 八本目には浜の松 九つ小松を植え並べ 十で豊久能伊勢の松
この松は芙蓉の松にて 情け有馬の松が枝に 口説けばなびく 相生の松
又いついつの約束に 日をまつ 時まつ 暮れをまつ 連理の松に 契りを込めて 福大黒を 見さいな

連理:夫婦・男女の仲がきわめて親密なことの例え

 

「めぐる日」

めぐる日の 春に近いとて 老木の梅も
若やぎて候 しおらしや しおらしや
薫りゆかしと 待ちわびかねて
ささ鳴きかける 鶯の 来ては朝寝を 起こしけり
さりとは 気短な 今帯締めて 行くわいな
ホーホケキョーとい 人さんじゃ

若やぐ:若々しく見える・若返る
しおらしい:控えめでつつしみがあって可愛いらしい
笹鳴き:やぶ中をチャッ,チャッという声を出しながら移動していく,このウグイスをヤブウグイスと呼ぶこともある
さりとは:本当に・まぁ

 

「八重一重」

八重一重
山もおぼろに 薄化粧 娘盛りは よい桜花
嵐に散らで 主さんに 逢うてなまなか あと悔やむ
恥ずかしいでは ないかいな

八重一重:濃く淡く山桜の咲く風景
嵐に散らで主さんに:桜が一夜の嵐に散るように、好きな男に逢って散る事をかけている
逢うてなまなか:あの時なまじ主さんに逢わなければ、こんな苦労をしなくて済んだものをという気持ちを唄っています

 

「槍さびくずし」

一、槍はさびるし その名もさびる さびたその名の 軽石由良さんが
  どんと打ち込む ズイトコリャ 山鹿流

二、月もおぼろに 流れる鴨の水 二人手を取り お染と半九郎
  悲しい旅路も ズイトコリャ 鳥辺山

山鹿(やまが)流:兵学の一派 「山鹿素行」江戸前期の儒者 兵学者、古学の開祖
鳥辺山:歌舞伎「鳥辺山心中」の内容を歌詞にしたもの

 

「雪は巴」

雪は巴に 降りしきる
屏風が恋の 仲立ちで 蝶と千鳥の 三つぶとん
元木に帰る ねぐら鳥 まだ口青いじゃ ないかいな

雪は巴:吉原の早春、雪が卍巴(まんじどもえ)と降りしきる様子
巴:卍巴=お互いに相追うように入り乱れる様
屏風が恋の仲立ちで:枕屏風を引き回して遊女と馴染み客がしみじみと語り合う様
三つぶとん:遊女が客にせがんで買わせた三枚重ねの敷き布団の事
元木に帰るねぐら鳥:遊女がふと窓を開けると生まれて間もない口ばしの青い鳥が、雪の中をねぐらと定めた木を求めて飛んで行くという光景